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「小さい頃から、音楽を仕事にする人生なんだろうなって思ってました」パーカッショニスト ラファエル・モイセ・エレディアさんロングインタビュー#1

前回インタビューしたフラメンコギタリスト徳永兄弟のお二人に「次にインタビューする方をどなたかご紹介してもらえませんか」と尋ねたところ、名前が挙がったのが今回登場するモイくんこと、ラファエル・モイセ・エレディア(Rafael Moises Heredia、堀本求生)さんでした。

2020年、スペインから広島のご実家に戻られていたところ、初対面にも関わらずすぐに旧知の友のような感じで気さくな雰囲気でオンライン対談に応じてくれました。

2時間ほどのロングインタビューを3回に分けてお届けします。

満ちる
満ちる
第一回目の今回は、紹介者・徳永兄弟との出会いからフラメンコファミリーに生まれた生い立ち、10代の頃にロックに出会い音楽に本格的に向き合い始めた頃の話題を取り上げます

こんな方に読んでほしい!

✔ フラメンコ音楽が好きな方

✔ パーカッションや打楽器に限らず、歌や楽器に打ち込んだ経験のある方

✔ 生まれた頃から音楽家系で環境に恵まれている人を羨ましいと思っている方

✔ 音楽が大好きで、これから国際的に活躍したいと考えている方

✔ 目標のために頑張りすぎてしまう、迷いや悩みのあるミュージシャンやシンガー

パーカッショニスト ラファエル・モイセ・エレディア(Rafael Moises Heredia、堀本求生)さんとは?

15歳よりパーカッショニストとしての活動を初め、18歳でスペインに拠点を移して以来 エバジェルバブエナ、マリナエレディア、ファルキート、ディエゴデルモラオ、など様々な有名アーティストと共演。
又、今年からはバークレー音楽大学に特待生として入学予定。

▼ラファエル・モイセ・エレディア(堀本求生)Instagram
https://www.instagram.com/horimotosa_n/

紹介者 徳永兄弟とのエピソード

ーー徳永兄弟にはモイくんって呼ばれていますよね?

モイセ:そうですね。モイセっていうんですけど、身近な人からはモイくんと呼ばれています。

ーーじゃあ、モイくんと呼ばせていただきますね!

はい!お願いします!
このインタビューって、森田くんからの紹介ですよね?

ーーそうそう、森田悠介さんから。ギタリストの下田雄人さんから森田さん、森田さんから徳永兄弟、そこからモイくんに繋がってます!

今日はモイくんの音楽のルーツや、様々なチャレンジについて聞けたらと思います。これまでどんな音楽を聴いてどんな風に楽器を始めていったかとか、大人になってからどんな活動をしてきて、これからどうしていきたいかとか、ざっくばらんに楽しくお話できたらと思っています!

よろしくお願いします!

ーー今回みたいに友達から繋がっていくというか、笑っていいとも!のテレフォンショッキングみたいなことにすごく憧れていまして。
10代の頃から周りの友達にインタビューして写真を撮っていたし、以前からブログもやっていて、人の生き様というかマイストーリーを聞くのが大好きなんです。
音楽活動というテーマに決めて、みんなの面白い話を聞いて、それを読んだ人が「こんな人がいるんだ!」って思ってくれて。

ひとりひとり聞いてみると、「そうなの?!」っていう話がいっぱいありますよね。
徳永兄弟のときはすごく面白かったんじゃないですか?中学校を卒業して、スペインに行って……。

「スペイン留学で本場のフラメンコギターを聴いたら、心に火がついた。」フラメンコギタリスト徳永兄弟ロングインタビュー(#1)

ーーそうそう!健太郎くんが帰ってきたら別人のように上手くなっていたから、康次郎くんが「高校なんて行ってらんねー!」みたいな感じで音楽の道にガーッと行って……。

ふたりともタイプがすごく違うから、面白いですよね(笑)

ーーお話ししていても面白いですよね(笑)タイプが違うし、顔も似てないですよね。徳永兄弟とはいつ頃から親しくなったんですか?

初めて一緒に仕事をしたときで、3年くらい前ですかね。
19、20歳くらいのときです。
僕がスペインに住んでいるから、健太郎くんたちからは一緒にやりたいってずっと言われていたんですけど、なかなか実現しなかったんです。
やっと実現したときに、音楽の話よりも個人的なエピソードからやりとりが始まりました。
2人とも頭も良いし、面白いです。康次郎くんはすごく完璧主義者で、ユーモアに対してもそんなところがありますね(笑)
性格や人間性って、演奏に出るじゃないですか。
一緒に演奏しているときも2人の違いが出ていて、すごく面白いです。
年代が近いこともあるし、フラメンコの中でも近いところを聴いていたので、すぐに意気投合しました。

モイくんが好きなフラメンコアーティストは?

ーー私はフラメンコをよく知らないので、フラメンコという一つのジャンルでしかないんですけど、深掘りするとそのなかでもいろんな音楽があるわけですよね。スペインにずっと住んでいるモイくんは、どんな音楽を聴いてきましたか?

僕がずっと好きなのはパット・メセニーやロバート・グラスパーですね。ネオ・ソウルが好きです。

フラメンコには大きく分けるとクラシックなものと現代的なものの2種類あります。
クラシックなフラメンコは30~40代の人にとっては主流ですが、若い人にはなじみが薄いので「これはなんだろう?」って思うかも。

最近の若い人たちが好きなのはサルサやソウルがブレンドされたフラメンコですね。
逆に、それをフラメンコと認めていない人たちもいますけどね(笑)

ーーなるほど(笑)モイくんが好きなのは後者ですか?

僕はどっちも好きですけど、やっぱり後者のほうが人と繋がれますよね。
クラシックなフラメンコは基本的にギターと歌だけど、後者はバンド形式で大人数でできる形態だから。
(徳永兄弟の)健太郎くんや康次郎くん、同年代の人たちとはそっちの音楽の話ばかりしていますね。

ーーそうなんだ!参考までに、サルサやソウルがブレンドされたフラメンコの、おすすめアーティストを何人か挙げてもらえますか?

ニーニャ・パストリ(Niña pastori)​​、ケタマ(Ketama)、リア(Lya)、ホセミ・カルモナ(Josemi Carmona)とか。
この人たちは、コードやハーモニーやスケールを、フラメンコとポップスとを織り交ぜていますね。

ーーなるほど。おしゃれな感じなんですね。

そうなんです!フラメンコって、昔はマニアみたいな人が聞く音楽だったんですけど、今はみんなが聞きやすい感じです。
特にホセミは、ギタリストならけっこう好きかもしれないです。
ぜひ聴いてみてください!

ー聴いてみます!彼らはみんなスペイン人なの?

みんなスペイン人です!
フラメンコの世界では外国人のアーティストは珍しいですね。
例えばブイカ(Buika)はギニアから来た女性で、日本でも活動している歌い手ですけど、他にはあんまりいないです。
僕も、日本とハーフっていうだけで向こうではすごく珍しいんですよ。

日本にルーツを持つモイくんがスペインで苦労したこと

スペインの時間の半分以上を過ごした練習場所にて

ーーモイくんは、お母さんが日本人?

そう、僕はお母さんが日本人でお父さんがスペイン人ですが、18歳まで広島で生まれ育っているんですよ。
だからスペインでは外国人扱いなんですけど、向こうでこういう仕事をしている僕みたいな人は本当に少ないです。
僕とあと、1人か2人くらいで、すごく珍しいんです。

ーーその珍しさっていうのは、良い面もちょっと大変な面もある?

もちろん。それはすごく大変ですね。
ジャズやフュージョンとは違って、民族音楽はメンタリティも狭いから、最初はやっぱり大変です。
まずはテクニックで向こうの人より上回っていないと認めてもらえないし、テクニックに関係なくダメと言われてしまうこともある。
だから自分のことをちょっとずつ知ってもらわないといけない。
言葉や人間関係も含めて、ちょっとずつ、ちょっとずつ慣れていった感じですね。

ーー上を目指すにはきりがないんでしょうけど、活動を始めて数年経って、壁をちょっと抜けた感はあるんですかね。

ありますね。やっぱり運もありましたし、すごくいろんな人に助けられました。
特にキューバ人のパーカッショニストがすごく助けてくれて、家に泊まらせてくれたり、いろんなところに一緒に行かせてくれたりしました。
僕に仕事が無いときには、その人が仕事を僕にくれて。
その時は知らなかったんですけどね。
本当の息子みたいに接してくれて。
良く見てくれない人たちもいるけど、そうやって助けてくれる人もいるので、感謝しかないですね。

幼少期は広島で育ち、2か国語を覚える

ーー生まれてから18歳までは広島生まれの広島育ちで?

そう。高校卒業してから4年間、スペインにいました。

ーー今(2020年7月)は日本にいるんですか?

スペインが日本よりも先にコロナで大変な状況になっていたから日本に来ました。
実は明日スペインに帰るんですよ。
このインタビューもスペインでやる予定だったんです。

ーーじゃあ、日本は久しぶりなんですね。今は数ヶ月日本にいるけど、基本はスペインがベース?

年に1回、年末に帰ってくるくらいなんですけど、基本はスペインです。

ーー子供のころ、お父さんと話すときはスペイン語で、お母さんとは日本語?

そうです。僕が生まれた時にはお父さんが日本語を話せなかったので、スペイン語で話してました。
でも僕の妹と弟が産まれたときには、お父さんが日本語を話せるようになっていて。
だから妹と弟は、スペイン語は聞き取れるけど話せないんです。

ーーそれは得しましたね(笑)

そうですね。「妹と弟はなんでスペイン語が話せないんだよ!勉強しろよ!」って思ってましたが(笑)

ーーお父さんとお母さんがオリーブオイルの会社をやっているんですよね。お父さんは日本で仕事するために、日本語を覚えていったわけですね。

そうなんです。僕のお父さんも、パーカッショニストと歌い手なので。
お母さんもフラメンコの踊り手をやっています。
会社は8、9年前に始めたんですけど、本業は音楽です。
自分のスタジオを持っていて、クラスをやって、ライブをやって……という感じです。

フラメンコファミリーで育ち、3歳でパーカッションに興味を持つ

ーー音楽一家なんですね!

そうですね、父方は音楽一家です。フラメンコファミリーですね(笑)
おじいちゃんが歌い手で、亡くなったおじさんもギタリストでした。
あと、キューバ人のドラマーのおじさんもいます。
その人はフラメンコではなくて、ファンクをやっているんですけどね。
踊り手のおばさんもいるし……みんな何かしらやっていますね。

ーーじゃあモイくんは、物心ついたころには周りに音楽が溢れていて、当たり前に楽器も触る環境だったんですね。歌もやりますか?

歌はやらないんですよ。
歌やメロディ系の楽器はすごく好きだったんですけど、気づいたらリズム系に行っちゃって(笑)
でも小さいころから、この方向に進むんだろうなと思ってました。自然でしたね。
他の世界も知らなかったし、これしかないんだろうなって(笑)
家でも車でも、いつもフラメンコやポップスが流れてました。
親は共働きで、僕らも仕事現場について行きましたし、いずれは音楽を仕事にする人生なんだろうなって思ってました。

ーーついて行ったのは、どんなところ?

小さいスタジオなんですけど、生徒さんがいっぱい習いに来ていました。
僕が子供の頃は150人くらいいたかな。
発表会はすごく大きなホールを借りて。
その発表会で初めて一緒に演奏したのは3歳の時ですかね。
ファンダンゴ、セビジャーナスといった基本の3拍子のフラメンコは比較的簡単なので、そういった曲を叩いてました。

ーー3歳でパーカッションをやってたんだ!

そのときは、何をやっているかよく分からないままやっていたんですけどね。
僕の弟はテニスラケットでギター弾いたり歌ったりして。

ーーエアギターみたいに?(笑)

そう!ギターに一番近いものはなんだって、テニスラケット持って(笑)
弟はずっと歌ってましたね。
僕のお父さんは、教えるっていうことはあまりしない感じなので、見て真似していく感じでした。
踊りに合わせてどう叩くか、歌に合わせてどう叩くかを見ていましたね。
その時は学んでいるつもりはなかったですけど、そうやって技術をつけていました。

ーー日本では15歳とか16歳とかでバンド始めたっていう人が多いじゃないですか?モイくんみたいに物心ついた頃から音楽に触れている人がいると、敵わないなと思ってしまいますね。

いやいや、その当時は遊びだし、たいして本気じゃないから嫌なときは嫌だし。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズとか、フー・ファイターズとかが好きになって本気でバンドを始めたんです。
だから、始まりはみんな同じじゃないかなって思いますね。

ーーそれはある意味、勇気づけられる発言ですね。

13歳のとき吹奏楽部に入ろうとしたときのことなんですけどね、僕はトランペットをやりたかったんです。
第1希望から第3希望までトランペットにしていたんですけど、僕、オーディションのときにインフルエンザになっちゃって(笑)
そうしたらみんなは僕がパーカッションをやっているのも知っていたので、自動的にパーカッションになりました。
「なんだよ!俺はトランペットがやりたいのに!」って思いましたけどね(笑)
あれだけトランペットに熱意があるのは僕だけだったと思いますね。

ーートランペット、人気あるもんね(笑)

でも僕がドラムを始めたときには、もうひとりいた女の子の方が上手かったし、他にも周りには上手い人がいっぱいいて。
楽器ごとにも違うし、始める歳は関係ないと思いますね。
始めるのが早くても、テクニカルで何も響いてこないこともあるし、始めるのが遅くても、この人の演奏好きだなっていうこともある。僕の場合はそうですね。

ロックに出会い、音楽に向き合い始めた10代の頃

お父さんにもらい、のめり込んだコンガ。(イメージ)

ーーレッチリとか好きなんですね。

めっちゃ大好きです。オアシスとか、とにかくロックがすごく好きだったんです。
当時、WOWOWで「洋楽伝説」っていう番組があったんですよ。
30分くらいの短い番組なんですけど、例えばレッチリ特集であれば、インタビューや曲の成り立ちの話、おのおのがどんな感じで……みたいに、バンドごとに紹介していました。
そういうのを録画して何回も観て、CDかけて、ドラム叩いて……それが僕の始まりですね。

ーー自主的に音楽に向き合い始めたのが?

そう。音楽が本当に好きだから練習しようって思ったのは、ロックのおかげですね。
そこでまたドラムになっちゃったんですけどね(笑)
ギターなどもやっておけば良かったとも思うんですけど。

ーーピアノは弾いてました?

ピアノはやっていなかったです。本当にリズム系だけです。

ーースイッチが入ったときというか、音楽でやっていこうっていう気持ちになったのは、ロックのおかげですか?

ロックが最初ですね。レッチリ、フー・ファイターズ、オアシス、ニルヴァーナ……そういうバンドがめちゃめちゃ好きになったんです。
それにレッチリが誰かとコラボしているようなビデオがあったんですが、この人誰だろうと思って調べていったのがきっかけでジャズ系の人たちを知って、聴くようになりました。

ーー誰だったか覚えていますか?

たしかドラマーだったんですけど……見つけたら教えますね(笑)
とにかくすごかったんです。
例えばチャド・スミスはそのとき、グルーブ、ロック感、ロックらしいフィルインっていう感じだったんですけど、その人のはもっと難しかったんです。
こういうドラムがあるんだって、当時の僕にとってはすごく難しかったんですよね。
そのときから、テクニカルな面で難しいコンビネーションを知っていきました。
それが13~15歳くらいかな。
あと、フラメンコをやっていた当時の僕に、お父さんがコンガをくれました。
「ポンポコポン」と叩くイメージでいたんですけど、叩き始めると意外と難しかったです。
ちゃんとしたサルサを知ると、すごい難しい楽器なんだなって。
それでコンガにのめり込みました。

ーーロックを聴き始めたころとかぶってますか?

かぶってます。
最初はロックで、少ししてからコンガを始めて、そっちにのめり込んで。
全然知らない世界だったので、一旦フラメンコのことは全部忘れて叩きました。
叩き方も含めて、全然違う楽器だったんです。
そこで基礎練習をしながら、好きな人の演奏を真似したり、ラテンジャズを聴いたり……その時期が一番練習して、のめり込んだ時期かもしれないです。

ここまで、モイセさんの生い立ちやパーカッションの道へ進むきっかけをお話しいただきました。

満ちる
満ちる
#2では、プロとして音楽に向き合い続けるためのメンタリティについてお伺いします!ぜひ続きも読んでみてくださいね。

#2 へ続く

「ルーティンを守るよりも”楽しい”を優先していい」パーカッショニスト ラファエル・モイセ・エレディアさんロングインタビュー#2

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