次回は、9/19(土)開催!【夢実現化ブランチ】「これならできる!」と心から思える計画を立てることができます!

音楽愛でブランクを何度も乗り越え、南米から日本文化を世界へ発信|ブラジル在住フルート&津軽笛奏者コッペデひろみさん

(トップ写真)2019年12月 サンパウロの東洋街リベルダージで開催された東洋まつりにて、和太鼓奏者の今村アンドレさんと。

数年前に東京で出逢ってから、緩やかに交流してきたブラジル・サンパウロ在住のフルーティスト&津軽笛奏者のコッペデ・ひろみ(Hiromi Coppede)さん。異国の地で子育てをしながら音楽活動を続けている姿を度々Facebookで拝見してきました。

サンパウロと東京では12時間の時差があり、昼夜が逆転しています。今回はおやすみ前の貴重な時間に、リラックスした雰囲気でインタビューに応じてくれました。

今回はひろみさんのルーツから日々の暮らしぶりや、これからのビジョンなどをたっぷりと語っていただきました。

こんな人に読んでほしい!

✔ 音楽活動から遠ざかっていた時期(ブランク)があるアーティスト、ミュージシャン、シンガー

✔ 子どもがいる今だからこそ味わえる、自分らしい音楽活動のあり方を見出したい人

✔ 自分で音楽ライブやイベントを主催してみたことがあるけど、なかなか大変だった経験がある人

満ちる
満ちる
ブランクがあり、音楽活動の再開を目指している人や、子育てと音楽活動の両立に悩んでいる人、これからのあり方を模索している人には、きっと何かヒントがつかめると思います。

音楽に慣れ親しむ幼少期から少女時代

――ひろみさんの音楽的なバックグラウンド(生い立ち、ルーツ、音楽的な目覚めなど)について、きかせてください。

母方の親族に民謡歌手や演歌歌手がいて、小さい頃から音楽に慣れ親しんでいました。5歳の頃に、自分から「ピアノが欲しい」と当時同居していた祖母にお願いして買ってもらい、15歳まで続けていました。

6歳くらいの頃には、当時憧れていた女の子がフルートを習うときいてやりたくなって、自分のお年玉でフルートを手に入れました。

自ら声を上げ「私がオーボエやります!」

13歳からはオーボエを始めましたが、それにはこんな背景がありました。

当時私の通っていた中学の吹奏楽部ではフルートは大勢いるのにオーボエはたった一人しかおらず、しかもその人も三年生で引退するのでオーボエが誰もいなくなってしまう、と先生が言っていて、そこで「じゃあ、私がオーボエやります!」と自ら声をあげたんです。

オーボエは音域も広くてオーケストラでは重宝されます。取り上げられるクラシック曲ではオーボエのソロも多かったので、「ラッキー!」なんて思ってました(笑)。コンクールではポピュラー音楽も演奏しました。

音楽とは別の世界を楽しんでいたハイティーン〜20歳の頃

中学卒業からしばらくは「ファッションの世界」に夢中になり、音楽活動は中断。地元のセレクトショップからお小遣いをもらって青森と東京をファッションバイヤーとして行き来するティーン時代を経て、海外旅行に行ったりと音楽とは別の世界を楽しんでいました。

(ひろみさんのファッションへの造詣は深く、トップ画像(アイキャッチ)のフェスで着用しているゆかたも、ご自身で作られたものです)

その間、音楽活動は全くしていませんでした(7年間くらいのブランク)

オーボエで音楽留学し、パリへ

――その後、パリに音楽留学されていますね?

はい、その頃、このまま日本にいたくない、と思うようになって、22歳でパリのエコールノルマル音楽院にオーボエで入りました。

そのままパリに残ることも考えましたが、暮らしぶりも決して楽ではなかったので日本へ帰りました。

帰国後は新しい友達が欲しかったのでFacebookを始めて、色々な人たちと交流するようになって、満ちるさんともその頃、共通の知り合いを通じて知り合ったんですよね!

――懐かしいですね!

留学中に楽器を盗まれ、大ショック!

実は、留学先でオーボエを盗まれてしまったんですよ。あまりにもショックで、ずっと気持ちが下がっていて、あまり演奏しなくなりました。

――そうだったんですか

はい、それからというもの、演奏を頼まれてもなかなか気乗りしなくて……。

帰国後はかれこれ、1年間くらいのブランクがありました。演奏していない期間も、音楽を聴きに行くのは大好きでよく行ってました。

ブランクを乗り越え、アジアの舞台へ

――帰国後は1年くらいブランクがあったということですが、その後は香港や台湾など海外でも演奏されていたそうですね。

再びそんな風に音楽活動できるようになったきっかけは何かありましたか?

ピアニストの友人の演奏をホテルへ聴きに行った後に彼女と一緒にいたところ、バーの常連だった台湾の方から「演奏する人を探している」と声をかけられたんです。

そこで私は、その当時まだ音楽活動は休止していたのに思わず自分から「フルートでやります」と言ってしまったんです!

――そんな風にしばらく演奏していない時期に、自らやらせてくださいと手を挙げるなんて、とても勇気が要ることじゃないですか?

正直いってその時は、まだまだ人前で演奏しようとは思っていなかったのですが「これはチャンスだ! せっかく話が来るならやってみよう!」と前向きにチャレンジすることにしました。

そんなわけで台湾の事務所に所属して、上海、香港、シンガポール、台湾などで主にクラシック音楽を演奏する機会を得ました。

――それは、すごい!

やろうと思えば、なんとかなるものですね(笑)何事も、チャレンジ精神が大事だと思います。

結婚、ブラジル移住、出産を経て

その後はイタリア系ブラジル人の夫と結婚してブラジルに移住することになり、台湾の事務所を後にしました。

再びブランクを乗り越え、音楽生活に戻るまで

ブラジルに来てからしばらくは音楽仲間がいなかったので、また演奏から遠ざかっていた時期がありました。

――それから再び音楽活動するようになるまでのことを、少しきかせてもらえますか?

はい。演奏から遠ざかっている間は、お料理教室を開いたりしていました。その後、女声コーラスに入ることで音楽の世界に少し戻ってきました。知り合いの家で演奏会があり、フルート演奏してみたら?と言われたものの、その気になれず。また別の機会にとてもお世話になっている方が誘ってくれ、せっかくなのでと久々に緊張しながら演奏しました。

――久々の人前での演奏は、どんな気分でしたか?

ちょうどその頃フルートを落として壊れていたので、フルートをお借りしての演奏でした。喜んでもらえて演奏後の達成感はありました。

その後は生徒さんができて教える立場になったため、しばらくは人前での演奏はしませんでした。娘が生まれてからも誘われたけど、子どもに泣かれたらと思うとなかなか人前で演奏する気になれなくて。

でも、小さい子どもがいても演奏している方をみて、私もそろそろやってみるか……、と。実はその重い腰を上げるまでに、結構時間がかかったんですよね。

――へぇ〜!そうだったんですね。それで、お子さんがいても演奏している人をみて、やる気が出てきたんですか?

いや、それで急にものすごいやる気が起きたわけではなかったです。でも元々私は人前に出るのが好きだから、何かふつふつと湧き出るものはあったかな〜。いいなぁ、うらやましいな〜、というような。

それから、フルート演奏していた、と言っている割に実際に演奏していないことが、嘘をついているんじゃないかと思われるのでは?と考え始めたから。

――あ〜、なんかすごくわかります!ブランクの間って、音楽やってると言いつつ、何もしていないことに葛藤が生まれたりしますよね。人からどう思われるか、とか。

それで、その後の演奏会では自分も奏者として出演するようになりました。そうしているうちに、演奏後に感じられる達成感というのかな、演者にしかわからない、あのアドレナリンが出るような快感をまた感じたいと思ったのが、私がやる気が起こしたきっかけなのかな、と思います。

音楽と私は、切っても切れない関係

――音楽って、何か不思議な力がありますよね。

そう、切っても切れないような関係なのかも。

それと、再び音楽生活に戻るキッカケになったのも、楽器を持っていたから、というのもあるかもしれません。

私、子どもの頃一番はじめに買ったフルートもブラジルに持ってきています。演奏していない間も楽器はずっと手元に置いて、磨いていましたから!オーボエも今でも手元にあったら磨いていたと思います。

――そうなんだ〜!なんだか、音楽愛を感じます

音楽=魂なんですかね。ソウル?

たとえ楽器がその場になかったとしても、体でリズムを取れば音楽になるしね。

――本当にそうですね!

私も、ギター全く弾けなくなった時期、友達のリハに同席する機会があって、友達の音楽に合わせて手をたたいていたら「そのリズムいいねぇ」なんて言われて、手拍子ひとつで音楽に参加していたことを実感して、もう泣きそうになりました〜!

次第に、自ら演奏機会を創り出せるようになりました

そして、後から話しますが、コーラス仲間のために自分でも音楽会を開催したいと思うようになってオープンマイクを開いたり、その延長線でチャリティーコンサートを主催するなど、次第に自ら機会を創り出せるようになりました

郷土愛に目覚め、津軽笛大使として活躍

――最近の音楽活動の状況(音楽のスタイル、発表の場、作品づくりなど)について教えてください。

ブラジル人達の前で演奏する時は日本の音楽を、日本やその他の国の人たちの前ではブラジル音楽を演奏するようにしています。

ブラジル音楽はブラジルに来てから始めました。

それからフルートだけではなく、故郷の笛、津軽笛(つがるぶえ)を世界に広げる「津軽笛大使」※としてブラジルで活動しています。

フルートと津軽笛の二刀流で活躍するひろみさん

津軽笛大使 概要

今や日本の邦楽でも主流になっている津軽三味線に代表される津軽サウンド。その中でも今国内で注目されてきている津軽の横笛「津軽笛」。

右の3本は、佐藤ぶん太氏所有の津軽笛です

青森の地元では、誰でも一度は手にする津軽笛。ねぶたばやし用、山用、と、地方によって色々な笛があって、太さも高さも音色も全く違うんです。

ブルースの様にソウルフルかつ丁寧に「歌い上げる」笛の音色は和笛の全国コンクールでも優勝者や上位を毎年輩出するほどで、スキルの高さと日本の精神性を兼ね備えた音楽として注目されていています。

その津軽笛を用いて

1)津軽の祭りサウンドを広く伝える
2)津軽笛を通して日本の魅力を伝える

そのような方を、史上初の津軽笛カーネギーホール公演を行った津軽笛奏者佐藤ぶん太主宰の津軽笛普及協会より「津軽笛大使」として任命。

津軽笛奏者・佐藤ぶん太さんとコッペデ・ひろみさん

2019年末、「津軽笛大使」に任命されました

津軽笛大使としての活動

津軽笛を多くの方に知ってもらう為に自ら声を上げ、在伯青森県人会創立65周年式典をはじめ、各県人会での新年会、忘年会、何万人もが集まる大きな舞台やホテルなど様々な場所で演奏させていただいています。

在伯青森県人会創立65周年記念式典にて演奏

在伯青森県人会創立65周年記念式典にて

ひろみさん
ひろみさん
津軽笛は青森独特の横笛で、私は故郷津軽の魅力を音楽で伝えたいと考えています。

伝統的な祭り囃子の他、「上を向いて歩こう」など、ブラジル人にもなじみある曲を演奏しています。和太鼓とのデュオなども行いました。

――そうですか!それはとても喜ばれるでしょうね。写真や動画を見ましたが、衣装もとても素敵でした。

ありがとう、衣装はアジアン、オリエンタルを意識しています。今なら桜っぽい春の柄とか。

そうそう、サンパウロにはジャパン・ハウスという、日本文化や伝統を現地の人たちに知ってもらうための外務省の施設があります。洋服やデザイン、糸、箸、アート、弥生などの展示会が開かれていて、夫婦同伴で参加し始め、1年ぐらいして自分ひとりでも行くようになりました。

――これからも、日本人であることを活かした活動がさらに広がりそうですね

ブラジルでの音楽活動あれこれ

歌いたい気持ちに応えたい〜自宅でオープンマイクを企画

――ご自身でも、音楽イベントを企画されていますよね。

はい、自分の家でオープンマイクを主催しています。サンパウロ市内から1時間くらいの郊外ある一軒家で、緑いっぱいで素敵なところですよ。

前に話した女声コーラスで、発表会以外のところでも歌いたいのになかなか機会がないという状況を知り、皆さんが練習の成果を披露できる場をつくりたいと思いました。

――うわぁ、それはそれは皆さん喜ばれているでしょうね!

はい。参加してくれた方は音楽が大好きという事もあり、とても楽しんでくれました。その様子を見ていると、またやりたいという意欲が生まれてきます。

(参考)オープンマイクとは?

さて、「オープンマイクって何?」という方のために、Hiromi Blogから引用して説明を付記しておきます。

簡単にいえば

  • オープンマイクは、誰でも自由に歌えるライブイベント
  • オープンマイクには「弾き語り向き」「ボーカル向き」「セッション向き」の3種類がある

メリットは

  • 人前で演奏して、もっと上手になりたいという向上心を高める事ができる
  • ステージ慣れできて、人の演奏を見れて、人脈まで作れる

というものです。

チャリティーコンサートに200名を動員

――ところで、これまでに「我ながらよくがんばったな〜!」と思えるような出来事はありましたか?

そうですね、日系福祉法人団体の為の日伯友好交流チャリティーコンサートを主催した時は、先輩の力を借りつつ準備を自分でやったので大変でした。

企画から事前準備、当日の運営までを自ら行い、チケットやポスターのデザインなども自分でつくりました

そして結果的に、約200名を集めることができました!

日本人とブラジル・日系コミュニティを繋げたい!音楽でつなぐチャリティーイベント

ブラジルと日本の架け橋に  H.I.S.ブラジルの季刊誌より(ひろみさんよりご提供)

――どうやってそんなにたくさんの人を集めることができたんですか?

サンパウロ日本人学校の音楽の先生がつくった曲があって、指揮や指導をお願いしたんですね。そこから生徒さんの親兄弟や友達が集まってくれました。ありがたい事に当日はお手伝いしてくれる方が沢山いてくれたので、頑張ってきて良かったと思いました。

――それは達成感があったでしょうね!

本当にありがたいことだと思います。

朝起きてから寝るまでのスケジュール

――ここからは、ひろみさんの毎日のライフスタイルについておうかがいします。朝起きてから夜寝るまでの過ごし方について教えてください。

少し前までは、朝起きたら娘とピアノレッスン、そして娘を学校に送り届け、(ブラジルの学校は午前の部と午後の部に分かれている)そのあとは私のフリータイムなので音楽や、他にも仕事や勉強、会議など時間が許す限り行っていました。夫や義両親にも協力してもらい、代わりに送り迎えをしてもらうこともありました。

現在はコロナウイルスのせいで学校も会社も全て閉鎖していて外出規制がかかっている為※、夫は在宅ワークで、娘も一日中ずっと家にいます。

朝起きたら朝ご飯を夫と娘に作り、片付けた後はまだ小さい娘が飽きないように家でできる遊びをし、すぐにお昼ごはんの支度、おやつ作り、気づけば晩御飯の時間です。

そうなると、娘が寝ている時間くらいしか一人になれる時間がありませんが、それでも毎日1時間は音楽の時間を設けるようにしています。

週末は夫の仕事が休みなので、娘を夫にまかせて個人的に練習できます。

イベントがキャンセルになった今だからこそ、これまでできなかった曲を練習できるという面はありますね。

コロナで家から出られない状況ですが、娘はといえば、パパもママもいるから幸せそうです。

※インタビュー当時の2020年4月初旬、サンパウロには外出自粛令が出されていました。

周囲の協力あってこその音楽活動

――子育てをしながら音楽を続けていくために、ひろみさんが工夫していることや、家庭と活動の両立の秘訣はありますか?

やはり、夫と義両親の協力と娘の理解ですね。協力があるからこそ、今の音楽活動ができていると思います。

ブラジル人の夫と出会い結婚してついてきたけれど、そこから7年経つ今、社会に貢献したいという気持ちも湧いてくるんです。それから、娘が生まれてから「母として尊敬されたい」「母の背中みせたい」という気持ちが強くなってきました。

フルートざむらい・ひろみ!

おんぶしながら練習したり、リハしたり。おんぶざむらいとか、フルートざむらい、なんて友達から言われたりして(笑)。気づくと寝ていたりしますし、子どもがいるから演奏できない、ということはないですね。

「ママは今、演奏してるの!声かけちゃダメ!」の一言に、娘の成長を実感

少し前までは私が演奏の為にステージへ行こうとすると泣いていました。なので、演奏前は一緒にいないようにしていましたが、今ではちゃんと聴くようになりました。

自室で演奏している時、夫が用事で声をかけてきたんです。

その時、3歳の娘が「ママは今、演奏してるの!声かけちゃダメ!」と言ったんです。

驚きました。日々心の成長をしているのがわかり、本当に嬉しかったです。

普段、どんな練習しているの?

毎日必ず演奏している曲

曲を覚えたり、アドリブを練習したりする他に、私が毎日必ず演奏している曲があります。 ショパンがフルートのために作った曲です。


この動画は、その曲の一部をお姑さんが撮影したハチドリの写真に合わせて演奏したものです。

3歳半の娘と一緒に

日本の童謡の歌詞が書かれたカードがあって、引いたカードの歌の旋律をママがピアノで弾き、娘が歌います。これを毎日1時間くらいやっているので、ブラジルにいても遊びながら日本の童謡を覚えていけると思います。

フルートの音色に鳥たちが集まってきます

――ひろみさんのミュージック・ライフスタイルで、お部屋づくりに工夫はありますか? お子さんと一緒に、またご自身が練習する場所などはどうしていますか?

娘に鍵盤に慣れさせるために、リビング、ベランダ、娘の部屋の3箇所に鍵盤を置いています。

それから郊外の家では、庭でフルートを吹いていると、鳥たちがやってきたりもするんですよ!

――それは、本当に素敵ですね!

今後はさらにチャリティーに積極的に取り組みたい

――今度の活動について教えてください。

今年は(コロナの影響で)日本に帰れなくなってしまったので、マイルでスピーカーを購入しました。コロナが落ち着いたら音楽仲間達とまた自宅でパーティをやりたいです。

日本への留学支援も

また、日本への留学を希望する留学生支援も考えています。日本文化への注目は高まっていて、ブラジルでも若い人たちが和楽器を習っていたりして、日本で修行したい人たちがいるので支援していきたいと思っています。

このコロナの状況ですから、しばらくの間はそのような活動は難しいでしょうけど、やり方を模索し、南米から色々な情報を発信していくつもりです!

ブラジルには日系移民文化があり、暮らしがとても大変だったところからスタートして医師や弁護士になって社会貢献し、現地で信用されている日本人も少なくありません。

私も今後はチャリティーイベントなど社会貢献活動にもさらに積極的に取り組んでいきたいと思っています。

子どもがいるからこそ、頑張れる!

子どもを生んでなかったら、きっとそこまで考えなかったと思います。お母さんの姿をみてもらいたい気持ち、子は親の背中をみて育つという意識が、活動を後押ししてくれています。

自ら率先した行動で道を拓く

――最後に、読者の方へ何かメッセージをお願いします。

そうですね、やっぱり、自ら率先して行動することが大事だと思うんです。

今までやってきたことを振り返ると、5歳の頃の「ピアノやりたい」から始まり、中学時代のオーボエも、台湾の事務所でのフルート演奏も、津軽笛もチャリティーも、すべて自分から声を上げてきたということに気づきました。

ものすごく大変でも、なんとかやり遂げながら、少しずつ自信がついていきます。

例えば、先程お話したチャリティーコンサートにしても、はじめはなかなか理解されず、誰も協賛してくれませんでした。演奏してくれる人はいたけれど、協賛してほしい、と話に行っても断られていたんですが、企画を進めていくうちに協賛してくれる企業が増えていきました。

自分のやってきたやり方は、正しかったと改めて感じられました

自分から声を上げ、はじめは認められなくても、諦めずに挑戦し続けていくことで、道は拓けると思います!

音楽も人も国境はない!

音楽に国境はないというコンセプトで日本で活動しているブラジル人の団体がありますが、まさにその通りだと思います。

ひろみさん
ひろみさん
人と人との繋がりも国境は関係ない、そういう世界を作っていきたいです

コッペデ・ひろみさんについて

フルート&津軽笛奏者コッペデひろみ

ブラジル在住のフルート、津軽笛奏者。2019年11月に史上初の津軽笛カーネギーホール公演を行った、津軽笛奏者 佐藤ぶん太、主宰の津軽笛普及協会より「津軽笛大使」として任命される。日本とブラジル、故郷青森の架け橋を演奏家 他、イベントオーガナイザーとして活動している。

公式ブログ:Hiromi Blog 
Facebookページ Hiromi ひろみ

インタビューを終えて

お子さんが寝静まった後の時間帯に、Zoomで2日間に渡り、3時間以上ものインタビューを行いました。

元々のバイタリティはもとより、出産後は娘さんに母として背中を見せたい、という張り合いが、ひろみさんの活力の源になっているようでした。

ここでは取り上げませんでしたが、ひろみさんはリーダーシップ教育についても関心が高く、日本では「次は何をすればいいの?」と受け身な立場を好む子どもたちが増えていることを懸念されていました。

多少周りと違っていても、自分の意見をはっきりと主張できることは、生きる上でとても価値あることです。

幾度となく人生の岐路に立ち、不安を抱えながらもいつでも自ら声を上げ、「よし、この道でいこう!」と勇気をもって歩まれてきたひろみさんの音楽人生を垣間みると、どこで何をしていても自分らしさに貫かれた潔さを感じてなりません。

海外移住、出産、そしてパンデミックによる都市封鎖という緊急事態においても、

ひろみさん
ひろみさん
今私はブラジルにいて今お話したような感じで活動していますが、きっとどこにいても、同じようにやっていると思います。ブラジルにいても、日本にいても、他のどこにいたとしても。

と語られる姿がとても印象的でした。

誰でも状況によって、その時できること、できないことがあるでしょう。

それでも、自分から声を上げ、諦めずにできることを精一杯続けていけば、道は拓ける!というとても大事なことを教えていただきました。

ひろみさん、ありがとうございました!

また「話の続き」をきかせてください!